流浪の民

家で暮らす


 私は一ヶ月前ほどに、勤めていた会社を辞めて、実家に戻ってきた。
私は実家に戻ってくるという考えはなかった。
しかし、意を決して両親に退職したことを告げると、是非、実家に帰ってこい、いや、帰ってくるべきだという言葉に代表された世間一般の親が持ち合わせている子供へのあらゆる方向に取り得る気質に押し切られたのであった。
冷静に考えれば、これから人生全般において、どうしようという算段のなかった私にとっては、このことはむしろありがたいことと言えた。
だが、一人で自由気ままに現代にありがちな独りよがりの勝手な生活を送っていた私にとっては、ただの苦痛でしかなかった。
  自由人を標榜していた私が、会社を辞めたことを友人に告げると、多くの友人は当然のこととして、衝撃と名のつくような感情は抱かなかったようである。
また、この私の行動を素晴らしいものとして、羨む人もあった。
このような人に対しては、自分の道を進むべきだと、至極勝手な助言をし、自分を正当化した。
また、実際に自分の意のままに進み、今の自分にたどり着いたわけである。
しかし、実家に戻った私は、私を羨んだ人と同様に何もできない人間にすぎないばかりか、羨んだ人と同じ道にも進んでいけない愚か者でしかなかった。

 酒を嗜むことを知らない私にとって慰めになるのは煙草だけであった。
しかし、私の家族は皆煙草を吸わないため、家にいると、一層居心地の悪さを感じてしまう。
以前、実家に住んでいたときは、父親が煙草を吸っていたので、少し窓などを開けて吸うなど遠慮はしていたものの、喫煙は当然私が持ち合わせている権利と考えていた。
例えば、食事の後などは、テレビを見ながら家族の前で堂々と吸っていたものだった。
しかし、肝心の父親が大病を患って以来、一口も煙草を口にしなくなってしまい、私はすっかり弱気になってしまった。
私が家族の前で煙草を吸ったところで、露骨に人に向かって息を吹きかけない限り、家の中のものは誰一人として、私を非難するとは思えなかった。
しかし、両親の機嫌が少し悪いときは、煙草を口に運びにくいものになるだろうと考えてしまう。
それならば、そのような雰囲気を感じたときだけ煙草を吸わないようにすればいいのだが、察知できないときもあるだろうし、そんなことに気を廻らせているのは、堂々とできない自身の気の弱さをさらけだすようで、何とも情けない気がする。
そんなにめんどくさく考えてしまうならば、煙草を辞めてしまえと、思われるかもしれないが、そんな考えは頭をかすりもせずに、結局というか、必然的にというか、家の外に出て吸うことになった。

  積極的に常に外で喫煙をするようになったわけではあるが、別に喫煙の楽しみを損なうことになったわけではない。
確かに冬の寒いときなどは、炬燵に入りテレビを見ながら煙草を吸いたいと思い、わざわざ外に出て吸うことの不条理を感じる。
そんなときは外に出て煙草を吸っても欲求不満が残るだけである。
寒い冬に一人で部屋の中から外を眺めながら、煙を吐くのは、感傷的な気分に浸ることができ、非常に煙草のすばらしさを感じさせてくれる瞬間である。
このようなすばらしい時を過ごすことができないのは非常に残念としかいいようがない。
しかしながら、暖かい季節であれば、室内で吸うよりも太陽の下で吸った方が、よっぽど気持ちのよいものである。
外界の方が少々、空気が澄んでいるためなのかどうかはわからないが、何となく普段感じることのない健康さや健全さを感じることができる。
まぶしすぎるほどの太陽の光を浴びるとともに、私だけの時間が流れはじめ、それに併せて私の周りの景色が急に動きを見せるようになる。
私自身が周りの流れの中に消え入りそうな感じがしたところで、煙草はフィルターを残すだけになっている。

 私の家は豪邸というわけではないが、そこそこの広さの庭があり、小さいことは木に登ったり、弟や友達と砂場で遊んだのを覚えている。
私にとって、格好の遊び場であった庭は、私の成長とともに東京によくありがちな庭に変貌を遂げた。
木々は以前のままに残っているのだが、砂場は無くなっており、今は私にはよくわからない花や草などが植えられており、ちょっとした庭園といった風をなしている。
かといってさほど手入れがされているわけではなく、強風の時に倒されたと思われる草がそのままに横倒しになっていたりする。
その中途半端な庭園には雀などが舞い降りてくる。
たまに名前の知らない鳥が飛んできたりすると、都会のオアシスにいるような気持ちが味わえ、なぜか誇らしげな気分になる。

 我が庭園の一番の目玉は池であった。
池といっても、ちょっとした水槽を少し大きくした程度のもので、水たまりといわれたら反論はできないが、庭の大きさを考えると妥当な大きさなので、とりあえずここでは池ということにして話を進めさせていただくことにする。
池には一匹数万円する鯉が泳いでいる、というわけではなく、近所で売られている金魚がたまに泳いでいる。
たまにどこからか手に入れてきたよくわからない魚が泳いでいることもある。
そのような魚は金魚よりも偉いらしく、めったに姿を現さない。
あまりに長期間見あたらなく、死んでしまったかと心配していると、勿体ぶったように水面に姿を現す。

この池は一番の目玉だけはあり、庭園の中でも一番が手がかかっていた。
まずは掘った穴の表面をコンクリートで固めた。
そのうち、猫が通りがかりのついでに、池の中へ手を突っ込んでいくようになり、金魚が水面を腹を出してぷかぷかと浮くようになった。
そこで、池の周りに柵をめぐらした。
しかしながら、猫はなかなか手強い奴らで、何度も柵を作り直すことになり、一番苦労したところであった。
そして次に名園の名に恥じない池にするために、橋を造った。
まず、池の中央部にブロックを置き、そのブロックを橋の中心として、両端にアーチ上の赤く塗った木を設置した。
その木に爪楊枝を一定の感覚で取り付けて、糸で結ぶといかにも立派な橋になった。
少し時間が経つと、無機質なコンクリートの表面に、苔が生えていた。
緑色の苔が生えているのは綺麗であるし、ましてや自然な池らしくなってきてよい。
初めのうちは、わざわざ金魚の餌を買ってきて、無邪気に喜んで必要以上の餌をやってしまうものだが、すぐに飽きてしまい、たまに気が向いたときに餌を放るだけになるが、苔が餌になっているらしく、金魚は苔を啄んでいるので、一石二鳥である。

あるとき、沼でドジョウを捕ってきて、池に入れたことがある。
水の流れのおきないこの池は、すぐに濁ってしまうのが大きな欠点であったために、低層を徘徊するドジョウの姿を拝むことは希であった。
それが故にこの池は、湖底に潜む怪物に夢を馳せるネス湖のような神秘的な雰囲気を醸し出しもした。

しかし、その素晴らしき池も今は、単なるコンクリで固められた水たまりとなり果てている。
池を囲んでいた柵はすでになくなっており、池を跨いでいた赤い日本庭園を思わせる赤い橋も、橋をわたすためにおいた煉瓦を残すのみで、橋自体は全く残骸すら残していない。
普段は水が張られていなかったが、雨が降ると水が溜まり、夏前だとボウフラが大量に発生した。
雨が降るたびに、水面が上昇していくが、水を抜くわけでもなく、手入れをするわけでもなかったので、ただの醜い水たまり以下のものに成り果てていた。

 ある日、いつものように煙草を吸おうと縁側に腰掛けた。
穴は昨日の雨のために、若干水が溜まっていて、お決まりのように大量のボウフラが生命を謳歌していた。
その中を手のひら大の蛙が、全身をだらんと伸ばして漂っていた。
以前から、暑い時期になると金魚に混じって、蛙が泳いでいることが度々あったので、今日蛙を見いだしたからといって、特に珍しいことではなかった。 古き良き時代には、そのいかにも、
「どうぞ嫌って下さい」
と言わんばかりの醜い肢体を発見すると、とたんに嫌悪の感情が涌きだしてきた。
この我々の池にはどうにも似つかわしくない存在にしか思えなかった。
蛙にいかなる理由があろうとも、そこに浮かんでいることは許されることではなかった。
すぐにちり取りを持ち出し、彼をすくい上げ、道路に投げ捨てた。
しかし今はただ
「ああ、蛙がいるな」
というだけで、注目に値するものではなかった。
以前は蛙がいないことが自然な風景であると受けとめていたが、今は蛙がいてもいなくても自然であった。
どちらも対して差がないように感じた。

 次の日も縁側に出ると、昨日の蛙が池の中にいた。
昨日は水の中にいたのだが、今日は水面から出ている煉瓦の上に座っていた。
太陽の光のもと、その暑さを避けるために、この池の中に飛び込んでくるとしか考えていなかったので、水の中にその肢体を浸さずに、じっと煉瓦の上に座っているのは、私にとってちょっと意外な姿であった。
池の中に入ったはいいが、水面が低いために脱出できなくなっているのかもしれないと思った。
しかし、それならばもう少し外に出る努力を見せてもよさそうな気がした。
一方では、一生懸命外に出ようと奮闘したが、達せずに疲れ切ってしまっているのかとも考えた。
私にとっては全く理解不能であった。

 若干心を動かされたのは事実であるが、それ以上は何もなく、何かしらの気持ちが動くことはなかった。
どんな理由でそこに存在しているにしろ、外に救出するなり追い出してやればすむことであったが、煙草を吸い終わると、何もせずにその場を離れた。
そこで死んでしまえという感情も起こらなかったが、可哀想だとも思わなかった。
というよりも正確に言えば、そのことに関して、私の頭はだだ空虚なだけであって、すぐに忘れ去られる風景でしかなかった。

その後も何回かその蛙を見かけた。
いないときもあったのでどうやら外に出られないわけではないらしかった。
池にいるときは、水面を全く泳ぎもせずに浮かんでいるか、身動きをせずに煉瓦の上に座っていた。
数日経つとその蛙は全く姿を現さなくなった。
どこかに行ってしまったのだろう。
私にとってそれはただ、ある時点を区切りに蛙がいない風景が展開されるようになっただけで、ただ意識の向かわない光景が継続するだけのことであった。

いつものように縁側に腰掛けて煙草を吸っていると、隣人のおばさんがやってきた。
私は母を呼びにいくと、また縁側に座った。
どうやら旅行に行ったらしく、そのお土産を持ってくれたようだあった。
彼女はすぐには帰らず、二人はときおり大声で笑いながら世間話を始めた。
私は一人の静かな空間を壊され、ひどく不愉快になったが、すぐに帰るだろうと相変わらず煙草をくわえぼうっとしていた。
私の母は私の実の親とは思えないほど大きく響いた声を出す。
私の声は小さく、しかも暗いらしく、電話などでは電話の相手が私が何か落ち込んでいるのでは心配することもよくあった。
一方、母の声は非常に大きく、しかもおしゃべりであるので、隣近所の人は私の家の内部事情をよく知っているんじゃないかなと、思ったりする。

その日もいつものようにしゃっべていたので、次々単語が私の耳の中に飛び込んできた。
その話を聞く必要のない私は、ただいらいらし、ただ早く終わってくれないかなと願った。
再び私の世界へ戻れるよう、なるたけ心を落ち着かせ、周りの雑音を遮断しようとした。
しかし、蛙という単語に私の体は反応した。
案の定、それは私が見たあの蛙の話であった。
私の母は池に近づき煉瓦を指さしながら、

「ここに蛙がいたから外にだしてあげたんです。でも、また池の中に入って、煉瓦の上で干からびて死んじゃったんですよ。馬鹿な蛙でしょ」

と言った。
隣人は笑いながら、

「馬鹿な蛙ね」

と相づちをうって、その話は簡単に終わり、次の話題へと移っていった。

 私は、あの蛙が煉瓦の上で死んだことを知り、ただ吃驚した。
あの蛙が干からびて死んでしまったことに、惨めな姿を想像し、不意に同情する感情が芽生えた。
そして、同情の感情はすぐに消え去り、あの蛙が身近な親しみのある存在に感じられてきた。
最後には、親しみよりも、なんだかわからないが偉大な存在であるように感じるようになった。

何故あの蛙が池に戻り、あの煉瓦の上で死んだのかはわからない。
何らかの必然があったのか、それとも単なる愚か者であったのか。
私は、太陽の光を浴び、干からびていきながらも、じっと煉瓦の上に座り、死んでいく蛙の姿を思った。

「あの蛙はあの煉瓦の上で死んだんだ」

水を存分に吸い込んだ終秋池