2006年12月21日

私の友人たち

  皆さんと同じように、私は短い人生の中、たくさんの友達がいました。
友達はありがたいもので、困難を迎えたときは、助けて支えてくれたり、アドバイスをしてくれます。
でも、いつも全ての友達が、たいへんなときに、援助の手を差し伸べてくれるわけではありません。
前に述べたとおり、私の人生の中で、友達と呼べる人はいたわけですが、頭の中に迷いやら困難な問題があったときに、 彼らは私からそっぽを向いていきました。
もちろん、私はとてもがっかりしました。それはいやな気分になったものです。
ただ、そのうち、そんなことには慣れてしまいました。
  ここで、皆さんに自分の信頼する友人たちを紹介したいと思います。
彼らは私の高校の同級生です。
なかなか人生の的を射たロシアのある格言があります。
“友達は災難のなかで知り合う”
彼らのいい話をたくさん語ることはできますが、そんなことは無駄でしょうから、ここではやめておきます。
ただ言えることは、彼らは頼ることのできる、問題を共有できる兄弟みたいな奴らです。
困難が訪れたときには、しばしば助けてくれますし、アドバイスしてくれます。
最後に彼らの名前を紹介します。
  マクサット、リスベック、メリス、そしてルスランです。
もちろん、友人の数は少ないと言えるでしょう。それでも、彼らは、自分にとって、希少で大切な人たちです。
彼らが私にしてくれていることを、言葉にして伝えるなんて、できるわけがないでしょう!




旅人(神奈川在住) --- 2007年2月14日

困っているときにそっぽを向いている人は友人ではないし、
そんな友人は 必要ないと思います。
友人なら援助は出来るんですよ。必ず。
ただし援助の内容はその友人しだいですが。
出来る範囲のことだけでもやってあげようと思える人が友人なんだと思いますよ。
援助と一言でいっても
「お金を出す、物をあげる」
も援助でしょうが、
「話を聞く、 助言をする」
それだけでも援助だと思います。
出来ることやってくれるだけでもありがたいのであって、
出来ないことを求めたり、 困っていることを完全解決してくれることを求めているなら、
それは傲慢でしょう。
ですので、友人なら援助は出来るんですよ。必ず。




2006年12月6日

キルギス学生の将来

  今日、キルギスの学生は旧ソ連時代と変わらず普通に教育を受けています。
もちろん教育制度の大きな変革はありましたが、一番の大きな変化は卒業後の学生の状況です。
以前は、卒業後、ほぼ全ての人が就職できていました。 しかし、現在は統計上、全く違ったものとなっています。
高等教育を受けた学生について、卒業後に就職できるのは半数以下です。職に就けなかったものは、 例えばバザールで働いていることがよくあります。
このように、受けた教育が全く生かされない羽目に陥るのは、単純に働く場が少ないこと、 そして政府がこの状況改善に力を注いでいないことにあります。
我々は将来、
「教育を受けたのはただ無駄なだけであった」
と、結論付ける可能性は十二分にあります。
それでも、学生の現実状況はただ淡々と学生生活を送り、試験の心配をしているだけのことです。
今後への不安については、将来の状況はきっとよくなるであろうという希望で、気を落ち着かせています。



旅人(神奈川在住) --- 2007年2月14日

教育を受ける、努力をすることは将来の可能性を手に入れることです。
可能性ですから、必ずそこから成果を手に入れられるとは限りません。
しかし、成功している人間で努力をしていない人間はいない。

キルギスの内情は良く知りませんが、
教育を受けるなり努力をすることは、
可能性を維持している以上無駄ではないと思います。
将来商業が発展したり、
場合によっては国の外へ職を探せることもあるかもしれない。
その時に
「教育を受けていなかったから出来ません」
では お話にならないのですから。
綺麗事かもしれませんが、そう考えるしかないと思います。
後は自分達で政治家になって国を変えるとかね。
変えようと思わないと変わらないんですよ。




学生
キルギスタン
ビシュケク在住

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